祖母に育てられて―トム・ベンジャミン牧師

 トム・ベンジャミン(1942年生まれ、69歳)は、会員数3千人のライト・オブ・ザ・ワールド・キリスト教会(米国インディアナ州)の主任牧師である。テレビ伝道番組や著書を通して、世界中に福音を宣べ伝え、特に子どもたちの救いに焦点をあてている。「一人の少年を救えば、男性一人を救うことになる。男性が救われれば、結婚生活が守られる。結婚が守られれば、家族が救われる。家族が救われれば、地域社会を守ることができる。だから、少年たちを救おう」とベンジャミン師は言う。人の道徳観、価値観は、大人になってからではなく、思春期に形成されるのだ。麻薬常用者、殺人犯、娼婦、詐欺師などは、生まれつきそうなるのではない。環境や育ち方によって生み出される。ベンジャミン師が子どもや家族の救いを強調するのは、自分の生い立ちが強く影響している。師は、5歳のとき両親に捨てられ、母方の祖母に育てられた。歯科医の父はキャリアを求め、大卒の母は飲酒に没頭し、二人にとって息子は「お荷物」となった。結婚とは、神と神の言葉に従い、夫婦が互いに仕え合うことで祝される。互いに与え合い、赦し合うのが結婚の全てであるが、ベンジャミン師の両親は、自己中心と反逆心に生きていた。5歳のベンジャミン少年は、一人、夜行列車に乗せられ、おばあちゃんの待つオハイオ州クリーブランド駅に着いた。不安げにおばあちゃんを探すと、突然、蒸気機関車の雲のような蒸気の中からおばあちゃんが現われ、「わたしの息子は元気かね?(”How’s my Mama’s boy?”)」と言って、愛情いっぱいに迎えてくれた。ベンジャミン師は、毎日、口論と争いが絶えない家から解放され、ようやく家に着いた気がしたという。そして、彼の新しい人生が始まったのだ。
 育ての親となったアフロアメリカンの祖母も、人種差別が激しい時代の中、ハワード大学を卒業、物書きとなり、出版業に携わり、事業を立ち上げ、地主にもなっていた(祖父は、ベンジャミン師が生まれたころ他界)。祖母は、イエス様にとって子どもたちは価値のある存在だ(マルコ10:13〜16)と知っていたので、自分にとっても子どもは大切であると受け止めていた。そして、子どもをよく育てることが、善い大人を生み出すことを知っていた。ベンジャミン師が、祖母についての本(2002年出版)を書いている最中にも、サンディエゴ郊外の高校で、生徒による発砲事件が起きた(生徒2名が死亡、13名が負傷)。犯人の男子生徒も、母子家庭の子だった。親が子育てをネグレクト(怠る)し、愛情を注ぐことをやめ、息子が愛なる神によって創られた特別な存在であることを教えなかった結果、起こった事件なのである。現在、米国には祖父母に育てられている子どもが400万人いるという。これは、過去10年間で2割増である。また、両親と住んでいても、実際には祖父母が子育てをしているケースも多い。ベンジャミン師も祖母に育てられたが、その体験から、離婚や死別で親を失った子どもを育てる、全米のおばあちゃんたちのために本を書いた。それは、「シングル・マザーも、自分ひとりでやろうと思わず、イエス様を信じて、神の愛をもって子育てをすれば、父親を失った子どもを立派に育てることができる」と伝えたかったからである。「悪い少年などいない、ただ誤って導かれた子がいるだけだ。愛されず、守られず、訓練されたことのない少年たちが、後に問題を起こす大人となる」と祖母はベンジャミンに教えてくれた。そして、どんな善い行いをしても、神に余計に愛されることはなく、どんな悪いことをしても、神からの愛が小さくなることはないのだ。神の人に対する愛は無条件で、偏見などなく、永遠であり、すべてにおいて完璧だと教わった。これは、イエス様の十字架のあがないが可能にする無条件の愛である。親は、この神の愛を子どもに注ぎ、子どもたちは神の奇跡であり、いつも親にとっては最優先されるべき存在で、誰もがこの世に特別な居場所が用意されていることを伝えなければならない。それなのに、あまりに多くの父母が、親としての責任を学校、部活、監督、テレビなどに明け渡してしまっている。更に、親が離婚したり、夫婦が互いに不誠実であったり、所有物へ固執し、仕事中毒になることで、子どもたちが危機にさらされている。しかし、100年後には、年収、預金高、株価、暮らし向きの良し悪し、どこに住み、どんな車を所有していたかなどは意味を失うのだ。その時、意味をなすのは、子どもに永遠の命を与えるために、どれだけ違いを生み出せたかである。ベンジャミン師は、これらのことを、言葉で説教されるよりも、祖母の行動から学んだのだった。祖母は、困っている人によく与えた。家に迎え入れ、話を聞き、食事を出し、その人の人生がより良いものとなるように手助けをした。それを、ベンジャミンは自然と身につけたのだった。
 親はイエス様の人格にならい、生き方を示す必要がある。祖母がいつも話題にしたのは、イエス様のことであった。主を愛する祖母にイエス様は、道徳的にも純粋でいられる力を与えられた。助けが必要な人の友になるための力を与えられた。主人を亡くした後、祖母にとっては、イエス様が「主人」となっていたのだった。祖母は、主イエス・キリストと共に歩み、常に御言葉によって祝され、生きる力を得ていた。その生き方は、次第にベンジャミンのものとなっていった。祖母と共に暮らし、共に教会に行き、共に祈り、祖母から訓練を受けたのだから、当然である。しかし祖母は、自分一人でベンジャミンを育てたのではなかった。彼は13歳になったころ、全寮制の男子校に入れられる。女親では、男の子を男性に育てきることはできないからである。コーチ、監督、牧師、地域社会のジュニアリーダー、隣人などの男性の協力を得なければならない。時には、近所の男性に頼み、ベンジャミンを釣りに連れて行ってもらったりした。祖母はいつも感謝でいっぱいで、前向きで、忍耐強く、物事に正面から挑戦していた。なぜならば、愛なる神によって、最後には勝利が与えられることを知っていたからである(ローマ8:28)。信仰が成長すれば、より勇敢になれる。ドラマチックなことはしなくてもよい。日々、一歩ずつ前に進むのだ。神に少しの勇気を祈り求めよう。試練は死ぬその日まで続くのだから、問題すべてを解決しようなどと考える必要はない。物事を正しく理解し、対処し、学べるように祈り、その生き方が、神が生きて働いておられ、イエス様の十字架のあがないが事実であることを証しする機会となればよい。この信仰による生き方が、現在のベンジャミン師の牧師としての活動につながっているのだ。
 ある日、ベンジャミン師は祖母に尋ねた。自分を育ててくれたおばあちゃんに、どうやって恩返しをすればよいのかと。すると、祖母はこう答えた。「私への恩返しなど心配しないでいいよ。お前に与えた愛を受け取って、それを他の人たちに分け与えなさい」(“Love is not to be paid back, but to be passed on.”)と。ヨハネ21章17節 に、イエス様とペトロとの会話がある。「三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」イエス様を愛するとは、人々に神の愛を分け与えることなのだ。そして、その行為は、神がどこかで報いてくださる。祖母から神の愛を教えられ、受け止め、その愛を牧師として人々に分け与えているのが、トム・ベンジャミン師である。
御翼2011年6月号その1 母の日号より

 
  
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